ROY草子 濱野京子×西山利佳 トークセッション (戦争を扱った作品について)
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濱野京子×西山利佳 トークセッション (戦争を扱った作品について)
2012-01-22 Sun 13:23
昨日,柏の本屋「ハックルベリーブックス」で児童文学作家の濱野京子さんと評論家で『日本児童文学』の編集長である西山利佳さんのトークセッションに参加してきました。
ご本人達曰く「おしゃべり」とのことでしたが,戦争児童文学について,いろいろと考えるところがありました。

昨年9月に大阪で開かれたシンポジウムで今江祥智さんの話を少し聞いたのですが,「戦争児童文学」という括りで書いているのではなく,書いた話の中にたまたま戦争という背景があり,その時代を生きた子どもの姿が書かれているというようなことをおっしゃっていました。
そのようなスタンスの方もいれば,戦争を意識して書いている方もいらっしゃいます。
子どもの頃,教科書には戦争を扱った話がどの学年にも載っていました。おそらく,「平和教育」という意味合いがあったのではないかと思います。でも,今は4年と6年の教科書(教育出版)に載っているだけ。しかも,位置づけは「命の尊さ」もしくは,「願いを受け止める」といったことになっています。背景として「戦争」があるけれど,読む内容は「親の子どもに対する願い,思い」なのです。
では,どこで戦争について子どもたちは学ぶのか。
6年生の社会科では間違いなく扱います。けれど,それだけでよいのだろうか…。

戦争について考える機会は,たいてい夏ごろです。原爆,終戦…。わたしも夏休み前に時間が少しできたところでブックトークをします。でも,沖縄戦,空襲など,本当はいつでも考えることはできるはず。

子どもの頃に教科書に載っていた戦争を扱った話は,「かわいそうなぞう」「かあさんのうた(夜のくすのき)」
「一つの花」「お母さんの木」「川とノリオ」でした。どれも被害者という立場から,戦争の悲惨さ,悲しさを書いているように思います。
けれども,同時に日本は「加害者」であることも忘れてはならないと思うのです。
では,子どもたちはそれをいつ知るのか。
わたしは3年生の時に「かあさんのうた」を読み,原爆のことを知りました。担任の先生は『はだしのゲン』を学級文庫に置いていました。そこから,戦争関連の本を多く読むようになりました。『碑』も4年生の時に読んでいます。
でも,小学校4年生の時に読んだ乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん~ある少年兵のたたかい~』で加害者としての立場を知りました。それまで,被害者としての立場からしか戦争を認識していなかったので,これは大きな衝撃でした。6年生で赤木由子『二つの国の物語』を読み,さらに加害者としての日本を意識しました。
けれど,中学生になっても,教科書で読んだのは被害者としての戦争を扱った作品だけでした。
教科書で加害者の側の立場を意識した作品を読んだのは,高校生になってからです。栗原貞子「うましめんかな」と「ヒロシマというとき」が同時に掲載されていたのです。
自分で『ぴいちゃあしゃん』を読んでいなかったら,わたしは高校生まで「日本は戦争の被害者だ」という認識でいたのかもしれません。

その経験があるから,わたしは子どもたちに被害者と加害者の両方の立場を教えます。謝罪するかどうかではなく,わたし達の国はかつてそのような過去を経験してきているのだという事実を伝えます。戦争はどちらか一方が被害者になるのではなく,加害者でもあるのだということ,そうならないためにも,戦争という道は選ぶべきではないことを子どもたちに教えていきたいと思うのです。
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