ROY草子 深すぎるごんぎつね…
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深すぎるごんぎつね…
2008-03-16 Sun 13:33
※前にも少しごんぎつねについて書きましたので,いくつか重複する部分があります。

「ごんぎつね」には参りました。今頃になって,本文のあちこちに矛盾を感じて,教材研究にどっぷりつかりました。
しかし…どうして,『赤い鳥』に掲載された時点でだーれも指摘しなかったんだろう。まあ,南吉は弱冠18歳であの作品を書いたのだから,大御所の鈴木三重吉の修正に何も言うことはなかったのかもしれないけれど。
ごんは自分のことを「おれ」と言うのですが,一カ所だけ「わし」って言っているのです。南吉の投稿した文章では「自分」という表記なのですが。他にも,なーんか城や森の場所など,読んでいて位置がはっきりしないなあと思う部分もあるのですが…。
あと,昭和35年に出版されている定本を見ていたら,ごんのことを「子ぎつね」と表記していました。でも,『赤い鳥』は「小ぎつね」で,南吉の投稿でははっきりと「小さい狐」と書かれているのです。
教科書も「小ぎつね」です。
まあ,教師も「子ぎつね」だと思っている人が多いのですが(汗)。
と,あちこち研究本を漁ったり,テキストを見比べたりしつつ,ごんぎつねの世界にどーっぷり浸かっているのでした。

ごんぎつねのラストについてですが,兵十が「ごん,おまえだったのか。」と言った後,「ごんはうれしくなりました」と南吉の投稿バージョンには書かれているのです。でも,『赤い鳥』掲載バージョンではここを削り,「うなずきました」としているのです。この結果,読み取り方がさまざまな方向に広がっていきますね。
先日,学年で話したときには「ない方が『ようやくわかってもらえた』というごんの思いを想像しやすいのではないか。はっきり『うれしい』と書かれていると,読み手に想像の余地がなくなるかもしれない。」という意見が出されました。
実は,子どもの頃に読んだときには,ごんが兵十に自分の思いが届いたことを嬉しく思って死んだのか,それとも恨みを抱いて死んだのかという点でかなり意見がわれた覚えがあるのです。わたしは,「あんなに健気に償いをしたのに,撃たれてしまって悲しい。」という読み取り方をしていました。
子どもたちの初発の感想でも「思いが通じて嬉しかった」というのはあまりなかったのです。「兵十もごんもかわいそう」という同情的な意見が圧倒的に多くなっています。
あの「うなずきました。」というラストの表現で,どこまでごんの「自分の思いが通じて嬉しい」という気持ちを読みとれるか,その途中の読み取り次第だなと思っています。

兵十に対するごんの気持ちは,兵十のお母さんが死んだ場面以降,後悔→同情→同一視→償いという方向に動いているように思うのです。「自分と同じひとりぼっちの兵十」に償いをしつつ,同じひとりぼっちという境遇となった兵十と心を通わせたいと願う。だから,兵十と加助の「神様のしわざ」という会話を聞いて「わりにあわない」と思う。本当は「おれ(ごん)がしていた」と兵十にわかってほしい。その点を押さえておかないと,あの撃たれた直後に兵十が「ごん,おまえだったのか。」とわかってくれた言葉を聞いてうなずいたごんの気持ちには近づけないように思います。
そこまで押さえても,うなずいたごんは「そうだよ,おれがやっていたんだよ。それなのに撃つなんて…。」「ようやくわかってもらえたのに,死ななきゃいけないなんて…。」と思ったのではないかととらえる子はいると思います。あのラストだと,心が通じたのに死ななくてはならない無念さも感じ取れてしまうから。

南吉には,物語には悲しさがあるべきというような考えもあったようなので,「うれしくなりました。」と直接書かれているよりも,あのラストの方がいいと判断したのかもしれませんね。鈴木三重吉の手が入ったことに対して,南吉は何も文句は言っていないようなので。
でも,おかげで南吉の意図したところを正確に読み取るのが非常に難しくなった…(泣)。
子どものなかには「あのラストは,兵十とごんにとってよかったのかどうかわからない。兵十は取り返しのつかないことをしてしまって,これからきっと後悔して生きていくことになるだろうし,ごんはようやく気持ちが通じたのに死んでしまったから。兵十は,ごんのように自分のやったことを後悔して,償いをしようとしても,相手はもう生きていないから償えない。だから,つらいと思う。」という感想を書いた子もいました。

さて,実際に細かくごんと兵十の気持ちを読んでいきました。
場面を追いながら読み進めていき,ごんがうなずいた場面で,一応,ほとんどの子が「やっとわかってくれた」という読みをしました。でも,ここで「もっと早く気づいてくれればよかったのに。うたれるなんてひどい。」という意見が出ました。
すると,見事にそちらの意見に賛同する子が続出したのです。
それはもう,信じられないくらい流れる,流れる~。
あんなに,「自分がやっているんだとわかってほしい」というごんの気持ちを,ごんがとっている行動から読み取っておいたのに…。

どうにもならなくなったので,「じゃあ,ごんは兵十が最後にわかってくれたことをどう思ったのかなあ?」ともう一度戻したら,「わかってもらえてよかったと思っている。」となりました。でも,「もっと早くわかってくれたら,仲良くなれたかもしれないのに。悲しい。」という意見は根強かったなあ。「ひどい」とまではいかなかったのですが。
「ごんは,兵十のおっかあを死なせてしまった(と思いこんでいる)償いのためにくりを運んでいたんだから,撃たれたことをひどいとは思っていないんじゃないか。」という意見が出されて,それに納得した子が多かったのです。
最終的に「兵十にわかってもらえてよかった。でも,これから仲良くしていくことはもうできないんだなあ。悲しいな。」ということで終わりました。
授業後の感想で「ごんは恨んではいないと思う。恨んでいたら,兵十が『おまえだったのか』と言ったときに頷くという行動は取らないと思う。」と書いた子もいました。
…授業中に言ってくれよ…。

意外とピンと来なかったのが兵十の気持ち。
火縄銃を取り落としたところで,兵十の後悔,取り返しのつかないことをしてしまったといった気持ちがすぐに出てきませんでした。
単に「ショックだった」というだけだったのです。
「ごんは残された兵十に償いをしていたけど,兵十はどうやって償うんだろう。手厚く葬れば償いになるのかな。ずっと後悔し続けるんじゃないのかな。兵十はおっかあだけじゃなく,心を通じ合わせることができたかもしれないごんまで失っちゃったんだ。」という子もいました。

ラストの火縄銃から青い煙が細く出ていたというシーンは,兵十の後悔する気持ちと,ごんの消えていく命と両方が重なって描かれているという話になりました。
最初は「悲しい感じ」というとらえ方だったのですが,「何が悲しいの?」と問いかけたところ「ごんを撃ってしまって,兵十が悲しい」「ごんが死んでしまうから悲しい」「撃たれてしまってごんが悲しい」とこれまたいろいろ意見が出ました。

読後の子どもたちの感想はいろいろでした。
・「心の通い合い」がテーマなのに,結局通い合うのは最後の一瞬だけで,ごんは死んでしまって,残された兵十も後悔していて,何だかすっきりしない。
(単元のテーマがそうだったのです)
・このラストはごんにも兵十にとってもよかったのかわからない。
・ごんが死んでしまったのが悲しい。

その後,南吉が赤い鳥に投稿したバージョンのごんぎつねを読みました。子どもたちは教科書をおっていき,わたしが朗読する形です。
最初の場面があまりにも省かれていて「ねえ,先生どこ読んでいるの?」と聞いてくる状態(笑)。子どもたちはいろいろなことに気づきました。
「ごんのこと,ずーっと『ごんぎつね』って書いてあった。」
「ごんは自分のことを『おれ』って一度も言わない。『自分』って言っていた。」
「ごんが兵十のおっかあのことで後悔するところも『わし』じゃなくて『自分』だよ。」
「ごんは,神様のことを恨めしく思っていたんだ。ひきあわないなんてものじゃないじゃん。」
「あ,ごんはやっぱり兵十にわかってもらえて嬉しかったんだ!」
どちらの方が兵十やごんの気持ちがわかるか聞いてみたら,圧倒的に南吉の投稿バージョンの方でした。
「教科書の『ごんぎつね』は,気持ちがはっきり書いていないからよくわからない。」という意見もありました。
「でも,ごんの行動から気持ちを読み取ることはできないかな?神様って言われた次の日もまた,くりを持っていくっていうのはどういう気持ちから?」と聞くと,
「それでも兵十に自分がやっているってわかってほしかったから。」とあっさり答えが返ってきました。
「ほら,ごんの行動から気持ちを読み取っているじゃない。」と言われて「あ,そっかー!」というお子さまたち。
それにしても,ラストの「うなずいた」には,本当に悩みました。よく読む子の方が,あれこれ心情を思いめぐらせていて,マイナス方向の考えもたくさん出されました。

この物語,子どもたちは再読したいと思うのかな…。
別窓 | 児童書 | コメント:7
<<新学期ですな | ROY草子 | ヒカルの好物>>
この記事のコメント
どんな話か詳細を覚えていないので、青空文庫で読んできました。
ごんは子供というよりいたずらな不良少年の感じですね。
報われない善意のアイロニーが切ないですが、
最後は救済になっているのかなぁ・・・、と、子供さんたち同様考えさせられました。

と言うより、思っていたほど悲しい話ではなかったというのが正直な感想ですが・・・。
やっぱり「読み」は年齢によって変わるものですね。
2008-03-16 Sun 20:56 | URL | 瑞閏 #lp29RAY6[ 内容変更]
読みがかわる
確かに年齢によって読み方は変わりますね。
ごんに感情移入をしてしまうと,結末を知っているだけに,切なさ倍増になります。
たくさんのくりをいっぱいかかえて運び,一所懸命償いをしていたのに,撃たれて初めて理解してもらえるなんて,悲しすぎるとわたしは思いました。また,兵十はこの先ずっと後悔し続けるんだろうなと思うと,それもまた切ない…。
物語世界を客観的に見ると,そんなに悲しいと思わないかもしれません。実際,子どもの中には「ずっといたずらしてきたんだから,撃たれても仕方がなかっただろうし,納得していたんじゃないかな。」という意見をもった子もいました。
2008-03-16 Sun 21:43 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008-03-17 Mon 18:01 | | #[ 内容変更]
失礼しました<(_ _)>
管理人のみ閲覧にチェックが入っていたみたいで。
2008-03-17 Mon 18:04 | URL | 鞠香 #4PWoEP6s[ 内容変更]
鞠香さんへ
管理人のみの設定になっていますが,オープンにしていいでしょうか?
たぶんいいと思うのですが,許可を取ってからにしますね♪
2008-03-17 Mon 20:23 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
なにが言いたいんだ私は
ちょっと図書館の書庫を漁ってこようかと思いながら読みました。
この話が苦手な私は、ROYさんが↑レスしているように読んでいました。
でもごんが納得していたという感想には、ふーっんと唸ったのでした。
今ならそう思えるかも!(小学生が今考えていることを三十路がいうのもなんですが)

なんだかすっきりしない。人間関係や社会なんてそんなものかもしれませんね。はっきり割り切れる方がおかしいのかも。
心が通じ合う最期があって良かったのかも。
でもやっぱり……∞
メビウスの輪のようです(苦笑)

ただこういうお話は必要だと思います。
最近子供たちが読む話は、こういう灰色の終わり方をするものが少ないかもとは常々感じていることです。
なんで必要なのか。
思いを繰り広げられないのがもどかしいのですが、細やかな感情を読み取ってすっきりしないことを受け入れる力というのでしょうか、グレーゾーンによって生かされるものがあることを(物語として)知るというか。
昔のお話で名作といわれるものって、不毛の死なのに受け入れざるを得ない形で終わるものがけっこうあると思います。

私もそうですし、ROYさんや瑞閏さんも何がしかの形で残っていたお話が、新たに子供たちの中でどう残るのか、将来こうやって再読し考える時期がくるかもしれないし、ごんの死が子供たちのなかで生きているといいですね。
ということで、読んでみよう。絵本でなく文章で。
2008-05-09 Fri 20:02 | URL | 鞠香 #Uskr0pWs[ 内容変更]
いろいろな結末
昔の物語の方が,悲しみや切なさ,やるせなさを感じさせるものが多いかもしれませんね。
そういうものを読むこともとても大切だと思います。

挿絵なしの文章だけで読むと,また受け取り方が違ってくるかもしれません。

子どもの頃の記憶は,意外と第一印象が強いのかもしれないなあと思っています。
もしかしたら,子どもの頃に受けた授業で,ごんはわかってもらえたということを扱っていたのかも…。
でも,自分の中ではやはりすれ違いの悲しい物語として,このお話は残っています。
2008-05-09 Fri 20:07 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
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