ROY草子 一つの花(本日3回目日記)
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一つの花(本日3回目日記)
2007-10-06 Sat 22:03
小学校4年生のときに初めて今西祐行さんの『一つの花』を教科書で読んでから約25年ぶりに子どもたちと読んでいます。
教育出版の教科書で,昔から載っている戦争を扱った作品は『一つの花」といぬいとみこさんの『川とノリオ』だけです。
子どもの頃の印象は,「ひとつだけちょうだい」と言ってお父さんのおにぎりをみんな食べてしまったゆみ子はひどいというものでした。
でも,今読んでみるとまったく違う読みになっています。

このお話には戦争の悲惨な描写はほとんどありません。子どもたちも「戦争のお話だからもっと恐いかと思っていた。」と言っています。
わたしも,今回読んでみて,この話は戦争の物語というよりは,両親のゆみ子への愛情や思いを描いているように感じたのです。

最初の場面で食べ物をねだるゆみ子にお母さんが「一つだけよ」と言うのは「ゆみ子のしつけのため」という答えが子どもたちからは返ってきました。当時はおやつなどと言っている場合ではなく,配給のおいもやかぼちゃを食べていたと書かれているのに,「何でも欲しがるとわがままに育って,将来ゆみ子が困るから」「お父さんやお母さんの分がなくなってしまうから」というのです。
「ああ,これは25年前の自分と一緒だ…。」
戦争によって,多くの日本人がどのような生活をしていたかということが,まったくわかっていなかったのです。
最初,ゆみ子はお腹を空かせていたのか「もっと」とねだるのですが,お母さんは「一つだけよ」と言って自分の分をゆみ子にわけてやります。本当なら,「みんなあげる」とゆみ子がほしいだけ分けてあげたかったのに,分けてあげられるほどの食べ物がないのです。「一つだけ」はたくさんあるうちの一つではなく,わずかしかないうちの一つ。
お父さんが「この子は一つだけといつでも言っていくのかもしれない。みんなちょうだいということを知らずに。何でも一つきり。一つだけの喜びすらもらえないのかもしれない。」とゆみ子の将来を心配している場面とあわせ,このことを考えるのに2時間かかりました。子どもたちはどうしても「しつけ」から発想が切り替えられない。それは,自分がまさにそうだったからよくわかります。

体の弱いお父さんまで徴兵されることになり,ゆみ子とお母さんが見送りに行く場面になりました。例の途中でゆみ子がおにぎりを全部食べてしまった場面です。
自分と同じように感じ取る可能性が高いので,ここは戦局が厳しくなったことを説明してさらっと流し,駅に着いてからのシーンへいくことにしました。
軍歌やばんざいの声で盛大に見送られていく人と対照的に,ホームの片隅でひっそりとそれにあわせて小さくばんざいをしたり,歌を口ずさむお父さん。「本当は行きたくないんだよ!」と子どもたち。
ここでも「戦争に行くのに何でばんざいなんてするの?」という疑問が次々に出てくるので,戦時中のお話タイムに突入。途中で「この話は戦争を子どもたちが知るためのものなのか?」という疑問が頭をよぎりました…。6年の社会科じゃないのに,こんなに戦争について語ったり,他の戦争のお話を読んだりしてよかったのか…。
それでも,「お父さんはゆみ子の成長を見守りたかったんだから,戦争に行きたいわけがない。」という意見が多く出されました。
そして,ゆみ子の「一つだけ」がここでも登場。お父さんは「みんなおやりよ。おにぎりを。」と言うのですが,ゆみ子は駅に着くまでにすべて食べてしまっていたのです。
その後のお母さんのセリフで,「ええ,全部食べちゃったんですの…。ゆみちゃん,いいわねえ。お父ちゃん,兵隊ちゃんになるのですって。ばんざあいって…。」とあるのですが,ここで子どもたちから意見続出。「これ,誰に向かって言っているの?」
かぎかっこ1つの中に言っている相手が複数いるというのです。
「食べちゃった」まではお父さん,「ゆみちゃん」からはゆみ子に語りかけているけど,何だか変だという意見も出てきました。
「『…』があるじゃん,だから何か考えているんだよ。」「これって,お母さんもお父さんが兵隊になるのをばんざいなんて思っていないんじゃない?」「本当はそう思っていないから『…』で間があくのか!」
ゆみ子をあやすために「ばんざい」と嬉しそうにしているというのは子どもたちも言っていましたが,その裏のお母さんの気持ちまで読めるとは…。
そして,お父さんがおにぎりを「ひとつ」ではなく「みんな」おやりと言ったわけと,その時点ですべてのおにぎりをお母さんがゆみ子にやってしまっていたわけは同じだという結論を子どもたちは出しました。
「ゆみ子の笑顔をお父さんは見たかった,お母さんはお父さんにゆみ子の笑顔を見せたかったから。」

おにぎりがなくて泣き出してしまったゆみ子のために,お父さんはプラットホームの片隅のゴミ捨て場のようなところにひっそりと咲いているコスモスを見つけてとってきました。「ひとつだけのお花。大事にするんだよ。」と言うのです。
ゴミ捨て場のようなところの寂しさはお父さんの寂しさと重なり,このコスモスはお父さんが最後にゆみ子にあげられるたった一つの喜び。
子どもたちはそう考えました。

この続きは連休明けなのですが…子どもたち曰く「こんなにいろいろ考えて読んだの初めてだよ。」
いや,わたしも君たちの意見を聞いて考えさせられたよ。
25年経って,この話をようやくしっかりと読めたような気がします。
お父さんのゆみ子への思いを考えると切なくなってきます。
12年目にして初めて4年の担任になれてよかった…。
初任の年だったら,もっと甘い読みをしたかもしれない。
別窓 | 児童書 | コメント:7
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この記事のコメント
懐かしい…!私も読みましたよ、「1つの花」。
でも「おじぎり」を強く覚えてるって一体;友達同士で当時、面白がって「おじぎり、おじぎり」って言ってた気がしますが、ろいせんせーの生徒さんたちは、そんなことはないですか?

私は、多分社会の授業で戦争のことを取り上げられる前から、戦争(というより原爆かな)について人より強い関心を示していたんです。その理由は「ひろしまのピカ」だと思うんですけど。
今から思えば、社会じゃなくて、国語の時間に「戦争」について触れることがいくつかありましたね。「ちいちゃんのかげおくり」も確か戦時中の話だったような(うろ覚えなんてウソかも…orz)。
何にせよ、戦争のことを、「まだ社会でならってないから」って避ける必要はどこにもないと思ったんです。戦争責任云々とか難しいことは大人でも考え込むくらいですけど、「戦争が起こると、こんな悲しいことになるんだよ」てことを、小さいうちから胸に刻めれば、それはそれでいいんじゃないかと思ったんです。国語の教科書に載ってる作品が、そういった役目を果たしてるといいなぁ、と。

日本史の授業はむしろ近代・現代史からやってもいいんじゃないか(もしくは現代史用に別枠を設けても)とか思ってるんですが、日本人として日本の歴史を知らないのも恥ずかしいですよね。うーん、なまじ歴史が長いし貴重な文化遺産も多いだけに、これからも色々と歴史問題は起こりそうですよね…。
2007-10-08 Mon 02:52 | URL | 青垣 #QygVoc82[ 内容変更]
わたしもおじぎり派
実は,子どもの時一番印象に残っていたのは「おじぎり」だったりする…。そして,クラスの中で「おじぎり」が流行ったことも…。おなじです,青垣さん(笑)。
うちのクラスでは,意外とその部分に心を奪われた人は少ないようです。
まあ,授業が終わるとまた違うだろうけど…(汗)。

わたしも社会の授業ではなく国語に載っていた戦争教材で戦争を知りました。
『かわいそうなぞう』や『かあさんのうた(夜のくすのき)』など,小学校で読んだ戦争教材はすぐに思い出せます。
当時はたぶん戦争教材として載っていたのだと思うのですが,現在は平和教材という形なのです。命の尊さを考えるというか…。
3年生は戦争教材はなく『わすれられないおくりもの』が載っています。
『ちいちゃんのかげおくり』も戦争のお話です。子どもたちに読み聞かせをしたら,すぐに「かげおくり」をしに校庭へ飛び出しました…。そっちが印象に残るんですよね,この話は。
わたしの場合は,『かあさんのうた』→原爆→『はだしのゲン』と戦争に繋がっていきました。小学校3年の時の担任が学級文庫に『はだしのゲン』を置いていたのです。当時は賛否両論だったんですけどね。その影響で,4年生で『碑』(広島一中か二中の話です。最近改訂版かなにかで出版されています。)を読みました。他にも原爆関連の本はけっこう読んだかな。

あ,話がそれました。
今回戦争の話が多くなってどうしようと思ったのは,『一つの花』を読んでいる途中で戦争の話にかなりの確率でそれていってしまうからなのです。
「軍歌」「出征する兵士にばんざいをする」「配給」など,作品に出てくる言葉でまず子どもたちはきょとんとします。戦争に関する知識が見事にないのです。彼らの祖父母の大半はすでに戦後の生まれで,話を聞く機会もあまりありません。かつての教科書のように,戦争教材も多く載ってはいませんし…。「今,みんながここで勉強している間にも,世界のどこかで戦争は起きているし,同じ年の子が巻き込まれて死んでいっているし,なかには銃を持って戦っている子もいるかもしれない。」と話したら,「信じられない!」という反応が返ってきます。
ゆみ子のお父さんが戦争に行かなければならなくなった場面では,「そこまでして戦争しなくちゃいけなかったの?やめればよかったじゃん。なんでやめなかったの?」「だいたい,何で戦争なんかするの?この戦争って何で始まったの?」という意見も出ました。こういう反応から話題はどんどん広がり,気づくと授業時間の半分以上が戦争中の話になっているという…。それだけ子どもの関心が戦争のことに向いているということなのでしょうね。逆に,「聞きたくないなあ」と辛そうな様子の子もいるのですが。
『一つの花』でとらえたいのは,戦争のことよりも子を思う親の気持ちなのかな…と自分では思っています。それなのに,どうしても戦争の話の方が主になってしまう…。自分がねらっているところとそれているので,いいのかなあと思ったわけです。
戦争の話は,夏休み前に必ず原爆,沖縄戦,空襲などが描かれている本を紹介しつつ子どもたちに伝えてはいます。今回,『一つの花』を読みつつ話題にした戦争の話は,6年の社会で扱う内容以上にひろがっていたと思います。被害者ではなく加害者としての日本についても説明しました。さすがに責任云々は語れませんけれど。今の時点では,戦争が引き起こす悲しさ,辛さを子どもたちが受け止めてくれればいいかなと思っているのに,ついいろいろ語ってしまう…。

>日本人として日本の歴史を知らないのも恥ずかしいですよね。

本当にそうですよね。といいつつ,自分もちゃんと歴史を知っているのかどうか…。これが他国との大きな違いなのかもしれません。
2007-10-08 Mon 07:40 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
やはり「おじぎり」は強かった…!

なるほど、ろいせんせいは子供達に親の愛情(と書いてしまうと実につまらないもののように見えますが)を伝えたかったのですね…!
でも子供達にはちゃんと伝わっているように読めましたよ、うん。

戦争のことについて知ることも日本人として大事なことだし、作品を読んで、そして授業を通して、それをどんな風に受け取るかは、ある意味子供の自由じゃないかな~とも感じました。だから、話や興味がそっちに行ったのなら、手助けをしてあげるのが普通なのではないかと思われます、はい。
戦争、インパクト強いですものね。今では考えられない分。
(建前上だけど)軍もなければ、社会の仕組みまで変わってるし…。そりゃ子供達が「何それ」と思って当たり前ですよね。

ああでも、子供達が「じゃあ戦争やめればよかったのに」「なんで戦争なんかするの?」という実に純粋なその思いをずっと持ち続けてくれたらいいですね。
自分の子供にも、できれば戦争なんて知らないままでいて欲しいと思う気持ちと、でも、知っていないと戦争の無意味さをわかることもできないから、せめて日本が直接的に関わった戦争については知って欲しいと思う気持ちと、両方がわいて来ます。

間接的であれ、今も日本は戦争に関わってるわけですが…その事実をあんまり把握しないままぼんやりと毎日を過ごしてるような気がします…よ。
日本国が供給した燃料が、民間人を殺していないことを祈りたいです。多分、もう遅いのだろうけど…。
2007-10-09 Tue 01:12 | URL | 青垣 #QygVoc82[ 内容変更]
金木犀、咲きましたね
小4とあなどることなかれ、ですね。すごい。
夏休み、あまりに本とは縁遠い子供たちを見てきましたが、こうして感じる力はちゃぁんと持っているのですよね。
(読書感想文を書くのに、なにを感じたかわからないと無理矢理あらすじだけ書いているとか、タイトルだけ並べて書いて何十冊読んだ!とか)
当たり前だよ!と、現役先生に怒られそうですが。
やっぱり子どもってすごい、おもしろいと思いました。

私もおじぎりが印象的。ちなみに『てぶくろをかいに』では、「おててがちんちんする」が印象に残っています。
当時の私、なにを考えていたかな~。
少なくともROYさんのクラスのように突き詰めて考えるには及ばなかったのは確かです。
同じお年のROYさんが、読み方が変わっているとのことで、もともと再読したかったので、ちょうど今から図書館へ行くところだったこともあり探してきますね。
わがままだという子ども視線ではなく、お母さんかわいそうだったような……遥かな記憶が。

白状すると夏の終わりに『ねんどのかみさま』を読んだのですよ。
時間がなく一度っきりしか読めず、それだけでは感想を吐き出すことが出来ないでいます。
そんな私も、「はだしのゲン」でした。あと「とべ!千羽鶴」(さだこのお話ですね)で戦争を考えましたかね。
今の、戦後の日本が抱える問題に寄り添って、ファンタジーで攻める(責めるというべきか)「はなはなみんみ物語」が今のとこ戦争ものでは一番印象的です。

なんだかまたもや言いたいことがないまぜですが、連休後の国語も楽しみにしています♪
2007-10-09 Tue 12:40 | URL | 鞠香 #4PWoEP6s[ 内容変更]
おじぎりとその後
レスが遅くなりましてすみません。

やっぱりみなさん「おじぎり」にインパクトがあったのですね。
子ども視点だと,「ゆみ子はわがまま」「お父さん,お母さんがかわいそう」となりがちかもしれません。
実際,自分がそうでした。

プラットホームの片隅に咲いていたコスモスの花ですが,子どもの中には「ゴミ捨て場のようなところにある花をもらって嬉しいかなあ。」と考えた子もいました。でも,他の子から「小さかったからゴミ捨て場のようなところの花かどうかなんてわからないよ。それに,花をもらってきゃっきゃっと喜んでいるんだから,1つだけもらえて嬉しかったんだよ。」という意見が出ました。
この花を見つめながらお父さんは何も言わずに列車に乗っていきます。この時のお父さんはどんなことを考えていたのだろうか。
「何も言わなかったのは,ゆみ子の笑顔を見たまま出発したかったから。」
「あのコスモスのように,たくましく元気に生きてほしい。」
「コスモスをお父さんのかわりだと思ってほしい。」
このような意見が出されました。

10年後のゆみ子とお母さんは,どうやら平和に暮らしているようです。お魚やお肉も食べられる生活になっています。
ゆみ子はコスモスのトンネルを通り抜けて買い物に行くのです。
たくさんのコスモス→平和になった様子
コスモスは,お父さんがくれた一輪の花から種ができていっぱいになったという説も出ましたが,他の子から「摘んだコスモスから種はできないよー。」という意見が出てあっさり却下。
でも,お父さんの願いがこめられたコスモスに囲まれているという発想はけっこう出てきました。

最後に,自分だったらこの話にどんな題名を付けるかということをしたのですが,「コスモス」が圧倒的に多かったですね。「喜びの花」「お父さん」というものもありました。
「コスモス」は「お父さんのゆみ子への思いが込められた花だから」,「喜びの花」は「お父さんが最後にゆみ子にあげることのできた喜びだったから」,「お父さん」は「コスモスとお父さんは重なっているから。コスモスはお父さんの願いのこめられた花で,お父さんのかわりだから重なっている。」
なかには,お父さんはまだ戦地で戦っていると思っていたり,死んでいないと思っていたりする子もいました…(汗)。
不思議。
2007-10-22 Mon 06:58 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
私はこの話も続きを考えました。
「お父さんがいたことを覚えていない」ゆみ子に新しいお父さんがやってくる。しかし、シベリアに抑留されていた本当のお父さんが復員してきた・・・・」
2007-12-14 Fri 01:50 | URL | 中立を目指す凡人 #-[ 内容変更]
お話の続き
よくお話の続きを自分で考えるということはしますよね。
2007-12-24 Mon 13:58 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
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