ROY草子 クローズアップ現代 「バッテリー」
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クローズアップ現代 「バッテリー」
2007-08-01 Wed 20:20
あさのあつこ『バッテリー』は,20代から40代の女性が読者の7割だという。「本気になれよ」がキーワードになっているようだ。
わたしは,この本を最初に読んだ8年前,高学年の担任をしていたけれど,子どもにすすめたい話だとは思わなかった。
よく言えば自分を貫き通す,悪く言えば協調性のない主人公の巧にはどうしても感情移入ができず,これは児童書なのかと迷ってしまったのだ。巧と豪の関係から友情は感じ取れないし,巧は孤高の存在であり続ける。最終巻になっても,作者が迷い続け結局収拾がつかなかった作品だと思っている。巧が自分の言いたいこと,すなわち言葉をつかむようになっていくというようなことを作者は語っていたが,はたしてそうだっただろうか…。巧は基本的に変わっていないと思うのだが。
巧に魅力は感じず,周囲の人たちの方が実に魅力的だった。
わたしは,この作品に夢中になっている女性たちのように「本気になれよ」というメッセージは受け取れなかった…。

「これはわたしの物語。あなたのものではない。あなたはあなたの物語を紡ぎ出してほしい。」というのがあさのさんの最後のメッセージだったが,物語は世に出て読み手が手に取った瞬間に作者の手を離れる物だとわたしは思っている。ずっと「わたしの物語」にしておきたいのならば,世に出さなければいい。自分の思いをはき出したいだけなら,日記に書き留めて公開しなければいい。世に出したということは,読み手を必要としたからではないのか。自分の思いを伝えたかったのではないのか。読み手は,その物語をそっくり自分の物にはしない。自分なりの受け止め方をして,形を変えて自分の物にしていく。オリジナルではないにしろ,「あなたの物語」を作り出しているのだ。
あのメッセージは言葉足らずだったのだろう。作者が言いたいのは,「自分としっかり向き合い,あなたなりの人生を歩んでほしい。」ということだったのかもしれない。そういうところは,やはり作者は巧のような人なのかもしれない。
別窓 | 児童書 | コメント:8
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この記事のコメント
同感!
実は最後の10分程度しか見ていなかったのですが、ラストの言葉には「なんじゃ、そりゃ」でした。
そんなこと言うなら、出版するなよ、と私も思ってしまいました。
「バッテリー」は「本気になれよ」がテーマだったんですか?
なんだかヘンですね。
それだったら、ドロップアウトしている才能ある主人公が、何らかのいきさつで再び野球の世界に戻る、といったような筋立ての物語になりそうに思います。
20代から40代女性の人気も、いささかBLくさいところに人気が集まっているのかと思っていました。
私は、凡人には伺い知れぬ天才の、苦悩や葛藤を、まるで剣豪小説のように描いているところに惹かれたんですが、結局尻切れでがっかり、というのが感想でした。
このところ、対談やらトーク番組やらで、あさのさんの言葉を見聞きすることが多いのですが、彼女を知るごとに作品を読む気が失せてきてしまうのです。
二番煎じめいた作品を、立て続けに出しているような印象もあるし。
実は今日も、偶然チャンネルを合わせて、あまり見たくなくて別の番組に変えたくらいだったんです。
2007-08-01 Wed 21:38 | URL | ふわ #xfrMlsmQ[ 内容変更]
本気になってほしいのは
やっぱり瑞垣だなあ(笑)。
それがテーマなら,主役は間違いなく瑞垣です。
高校時代は何にも本音でぶつかり,本気だったのに,今の自分はそうではない。夢をあきらめてしまった。けれど,『バッテリー』を読んで,また本気でぶつかっていきたいと思うようになったというのですが…そんなこと,読んでいてひとつも思いませんでした。
巧たちと近い年代の女の子が「巧のように自分を通して生きていっていいんだ」と自信を持ったという話も出てきたのですが,そちらの方がよっぽどあの話をよく読んでいると思いました。
とにかく,巧に関してはひたすら自分を貫き通す孤高の人としてしかとらえられなかったし,巻が進むにつれ,おもしろみがなくなってしまい,最終巻なんて買ってから1年経ってようやく読んだ始末…。それで「ああ,すっきり」と思えるラストならよかったのですが,収拾がつかなくなったとしか思えない終わり方でがっかり。『ラスト・イニング』の方が,ずっとおもしろく読めました。

それにしても,あのコメントはやはりいただけません。やはり作家は,作品で勝負すればよいのではないでしょうか。自分の語りたいことを作品という形で表現しているのだから。
2007-08-01 Wed 22:20 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
芸術家か職人か
時間差があるコメントになってしまいましたが^^;

「自分のために」書いているとまっすぐに語るあさのさんは、たぶん、純文学系というか芸術家なんだと思います。それも、観客を必要としないタイプの方なのだと思います。これは、同業者というより、評論家的視点からの分析なんですけど。

で、自分の作品に観客を必要とするタイプの、職人というか芸人タイプの作家もいるわけで、そういうひとたちはたぶん、作品を通して、コミュニケーションを取ることを、人間とつながっていくことを求めている、と。
古い作家は、この「コミュニケーションを求める」という点において、読者に対して開かれた作品を書く児童文学作家になっていったんだと思います。

仮定ですが、バッテリーを求める読者はたぶん、巧に自分をなぞらえていて、つまりは、他者に寄らない自分でありたいと思っているのではないかと思います。
それはひょっとしたら、あさのさん自身も望んだことかもしれないと。あさのさんの願いが、同質な読者を惹きつけるのかもしれないです。
2007-08-21 Tue 00:42 | URL | chayka #0MXaS1o.[ 内容変更]
ちょっと補足
>古い作家は、この「コミュニケーションを求める」という点において、読者に対して開かれた作品を書く児童文学作家になっていったんだと思います。

旧来の児童文学作家たちは、という意味ですね。
もうひとつのROYさんのご投稿のことも考えながらコメントしていたら、話が混じってしまいました(笑)。ごめんなさい^^;

つまり、読者(子ども)を必要としない児童文学作品がうまれ、ふえていきつつあるのかな、という、それがいまのわたしの感じていることですね。

個人的には、いろんなタイプの人がいてもいいや、と思ってます^^
わたしは古いタイプの作家(子どもという存在があって、物語が語れるタイプの作家)ですが、みんなが自分みたいなノリだったら、それはそれで怖いですもん(笑)。
2007-08-21 Tue 00:47 | URL | chayka #0MXaS1o.[ 内容変更]
やはり「児童文学とは?」
結局ここへ話は行ってしまう…。

>同質な読者を惹きつける
これは,荻原規子さんの勾玉三部作を読んだときに同じことを思いました。この時は,コバルト文庫の少女小説とどこが違うのかということも疑問としてはあったのですが。

>あさのさんの願い
『スポットライトをぼくらに』を読んだときにも感じたのは,あさのさんは自分の住む場所(環境)から脱したいのかなということでした。あらゆるしがらみから解放されて,自分は自分でありたいという願い。そういうものをあさのさんの作品からは感じます。
ただ,それは「自分の願い」であって,読者への語りかけではないのです。

>児童文学
「読み手としての対象であるべき子どもを必要としない児童文学作品とは何ぞや?」というのが率直な疑問です。それは児童文学と言えるのか…。「児童文学」という枠組み自体が揺らいでいると思うのです。
いろいろなタイプの書き手がいるのはよいのです。でも,児童書としての書き手であるならば,その根底にあるのはやはり子ども読者への思いではないのでしょうか。
岩瀬成子『あたしをさがして』は,児童書としてはとにかく難解です。大人が読んでも難解でした。「こんなすっきりしない話が何で児童文学なの」という大人読者の声も聞きました。でも,まるで夢が次々と変わっていってしまうような不条理とも言える世界の中で,いつでも在るのが「あたし」と「ママ」です。今なら,親離れや自立したいと思いながらもまだ親の愛情を感じていたい,そんな葛藤をしているヤングアダルト向けと言えるのかもしれません。これだけ難解でも,この作品は子ども読者へ向けて書かれていると思うのです。
子ども読者を必要としない児童文学作品であっても,子どもは読み,自分なりの解釈をするでしょう。現にそうなっていると思います。
読み手としての子どもを必要としないのであれば,ライトノベルとの境界もますます曖昧になっていくでしょうね。そして,一般書との境界も。これには,出版業界の現状も反映しているのではないかと思うのです。
児童書という区分では売れない→一般書で売る,文庫化する
何だか,出版事情で児童文学という枠組みが揺らぎ,子どものための本が子どもの手に届かなくなっていっているような気がしてなりません。
2007-08-21 Tue 20:29 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
>「読み手としての対象であるべき子どもを必要としない児童文学作品とは何ぞや?」

たぶんですが、「子ども」としてのひとかたまりの中の存在である自分ではなく、「わたし」をみてほしいという願いと憤りをもって、「子どもの本」を書いている作家がいるんだと思うのです。

わたしは、そういう作品もありだと思います。実際、そういった作品を求めている子どもの読者もいるからです。

たまたま、上の世代の読者たちがその作品を支持し、結果売れたとしても、それはそれでいいかな、と思います。
たぶん、そういうひとたちの中のインナーチャイルドが、「子どもの本」を手に取らせているのだと思いますし。

>ただ,それは「自分の願い」であって,読者への語りかけではないのです。

文学とは、必ずしも読者とコミュニケーションを取らなくてはいけないものではないと思います。ただ存在があるというだけで、心打たれる作品もあると思います。
「書きたい」という作者の思いがあって書かれた作品は、たとえ、読者への語りかけや笑顔がなくても、(読まれるべき技術さえともなっていれば)、どこかで誰かの宝物になると思います。

で、実は、業界の中にいるとわかるんですが、子どもの本の作家の中には、けっこう、「子ども嫌い」な人っているんですよ(笑)。「子ども嫌い」の編集者もいる。そういうひとたちは、リアルな子どもに向けては本を作っていない。
でも、みんな、いい本を作っている。
それは、「自分の心の中の子ども」に向けて本を作っているからなんですね、きっと。で、それでも、子ども読者の心には、ちゃんと届くし、愛されもするんです。

簡単にまとめなおすと、子どもの本の作家には、リアルな子どもに向けて、おとなとしての立場から本を書いている人と、自分の内なる子どもに向けて、物語を書いている人がいる、そんなふうにわたしは思っています。ものすごいおおざっぱなくくりですけどね。
どちらも、「子どもの本」なんだと思います。
2007-08-21 Tue 23:39 | URL | chayka #0MXaS1o.[ 内容変更]
…う^^;
私は語調がきついから、ROYさんをいじめているように見えるかもですが(笑)、そうじゃないですからねー、と念のために書いておきます。

で、わたし自身の立ち位置としては、「古き良き(レトロな)子ども好きの児童文学作家」であり、今後もそうでありつづけていくと思います。
ただ、「内なる子ども」に向けてかくひとびとやその作品を、否定することはわたしにはできないのです。そういう作品群を必要とする読者さんがいる限りは。

>児童書という区分では売れない→一般書で売る,文庫化する
>何だか,出版事情で児童文学という枠組みが揺らぎ,子どものための本が子どもの手に届かなくなっていっているような気がしてなりません。

このことに関しては、少し違うかなあと。
もともと児童文学とは、日本においては、最近は売れるジャンルではなかった上に、書店では、参考書やゲームの攻略本、漫画に棚をとられていた、という現実があります。
そこに、いまの児童書ブームのような状況が起きているので…
わたしのような職業作家にとっては、むしろ、子どもの本に光が当たって嬉しいなあという思いの方が強いです。棚が子どもの本用に戻ってきている感じで。

「売れ筋」や話題の本を牽引車にして、子どもの本の棚ができるというのは、本当にありがたいことですし、子どもたちも、本を探しやすくなっていると思います。
2007-08-22 Wed 00:03 | URL | chayka #0MXaS1o.[ 内容変更]
なるほど
子どもの頃の自分に向けて書いているというというのは,わかる気がします。結果,それは子どもへ向けて書いているということになるということも。
それはそれでよいのでしょうね。
心に残る本は,人それぞれですし。
自分が子どもの頃に比べ,子どもの本はかなり増えていると思います。
読む機会が増えたのも,関心が高くなっているのも事実です。
児童書をアニメ化や映画化してくれているのも,児童書に光が当たるきっかけとなっているでしょうね。
2007-08-22 Wed 06:22 | URL | ROY #Uskr0pWs[ 内容変更]
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